こんにちは、あおです!
社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士を取得し、相談対応をしたり、ライターとして活動したり、ブロガーとしての活動をしたりしています。
今回は前回に引き続き、うつ病の治療について②と題して、うつ病の治療にかけた2年目の経験を話したいと思います!
1年目の経験は、一つ前の①をご覧になっていただけるとありがたいです。
それでは、なかなか安定しなかった1年目を終え、発病した季節にまた近づくことになります。
すると、発病した時のことを思い出してしまい、季節の雰囲気や匂いなど、あらゆる物事で、不安や落ち込みになり、落ち着きがなくなっていたことを覚えています。

薬も変薬の多い主治医だったので、効果はある程度感じても、改善していくか分からないまま、次の薬という流れをたどっていました。
自分自身でも考え方をうまく変えていかなければ、と模索している時期でもありました。
しかし、仕事に関しては相変わらず大量にあるのが常で、仕事が終わると全ての力がなくなった状態になってしまい、職場から出てもすぐ近くのコンビニで休んで、回復してからでないと動けませんでした。
そのため、休憩して、眠ってしまい、気付いたら復活したのは早朝だったということは度々ありました。お恥ずかしい限りです。
相当コンビニの店員に寝顔を見られていたことでしょう。
しかし、あの頃の私は、生きるということに対して、あれが限界だったと今でも思います。
なぜなら、ふとした瞬間に、もう死のうかなって思うことがよくあったからです。
冬時期になった時、私は寒い車の中で、このまま眠って、凍死したように、静かに死ねたらいいのにと何度考えたか分かりません。
そんな中でも、家族の前では出来る限り明るく振る舞えるように徹して、気を張っていた気がします。気がするというのは、あまりにうつ状態が強く、しっかりとしたら記憶が残っていないのです。
うつ病や抑うつ状態で、うつ状態が強いと、記憶が残っていないことも多々あります。それほど、その時に力が残されておらず、生きるだけで精一杯になるのです。
年を越え、少しずつ転院することを考え始めました。
しかし、うつ状態で頭が回らず、変わらず仕事も終わらず帰れない日々が続き、なかなか行動に移すことができていませんでした。実際のその時の症状から考えて、自分での判断にはなりますが、今の治療をしていても改善しないだろうと感じていたので、早くに転院したいという気持ちがありました。
その後、数ヶ月掛かりましたが、家族の支えもあり、別のクリニックに転院することができました。
転院することになって
そこでやっと自分の思いをわかってもらうことができ、治療方法や処方内容の見直しをしてくださり、ここからが徐々に改善に転じるきっかけとなりました。
以前のクリニックは1ヶ月に1回受診をし、毎回話もせず、不調を伝えても、変薬してもらえることもなく、何も伝えていない時に次々に薬が変わっていたため、なかなか改善を感じられませんでした。

しかし、転院先では、丁寧に話を聞いてもらえた上に、その時の状況に合わせて薬を変更してくれたことで、今までの不調がうそかのように安定の傾向が見え始めました。
安定すること自体が簡単ではないことは非常に強く感じており、安定傾向へ向かい始めても、安定するのには時間がかかりました。
その中で、私の傾向や特徴から、私の診断は、うつ病ではないことが分かりました。
私は、発達障害があり、それによるうつ状態であることがわかってきました。
いろいろな病名がついてきた中でしたが、やっと病名が固定され、治療が進んでいきました。
発達障害の治療もしながらのうつ状態の治療となりました。
その治療を進めていき、少しずつ前に進み始めました。
実際、この流れを踏んでいる時にも、休職したほうがいいと何度も勧められました。
しかし、私は家族のためにも、自分と自分の戦いとしても、ここで休職したら負けというような気がして、毎回休職を断っていました。自分でも思います。なんと頑固者なのだろうと。。。
こうして治療を続けているうちに、治療の2年目が終わる頃になっていました。
今回は私の治療に関する2年目を②として投稿させていただきました。
この頃も読書が現実逃避の方法だったので、またおすすめの本を紹介できたらいいなと思います。

今回①、②と分けてきた治療の流れも、次回の③で概ね終わりますが、どのように落ち着いていったかを投稿していきたいと思います。
「治療」ということについては、今も行なっているので、後々別投稿で少しずつお話ししていこうかなと思います。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。